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身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ
身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ
Autor: 花柳響

第1話 捨てた父が、深夜のレジに立つ

Autor: 花柳響
last update Fecha de publicación: 2026-06-17 16:06:28

 午前二時過ぎ。

 私を捨てた父が、コンビニのレジの前に立っていた。

「栞、少し付き合え」

 自動ドアが閉じる。外の湿った夜気が途切れ、店内には揚げ物の油と、温めすぎたおでんの匂いだけが残った。

 夜勤の店員は私一人。レジ横のホットスナックケースが、じり、と小さく音を立てている。

 如月隆一。

 如月グループの代表で、かつて私が父と呼んでいた人。

 三年前、私を家から追い出した男だ。

 私はバーコードリーダーを静かに置いた。薄い手袋越しの指先が震えている。それが、何より腹立たしかった。

「……何の用ですか」

「少し、話がある」

「雑誌と公共料金でしたら、こちらで伺えます」

 自分でも、よくそんなことを言えたと思う。けれど、深夜二時のコンビニに突然現れて「話がある」と言う父親より、仕事のマニュアルの方がまだ信用できた。

 相変わらず、命令に近い言い方だった。

 この人は昔からそうだ。会社でも家でも、自分が口を開けば周りが従うと思っている。三年前、自分の手で私を切り捨てたあとでも、その立場だけはまだ残っているつもりらしい。

 笑ってしまいそうになった。

「もう如月家の人間じゃありません。そう言ったのは、あなたですよね」

 言ってから、自分の声が思ったより平らで安心した。笑顔が必要なら接客用を貼れる。でも、この人にまで無料提供するつもりはなかった。

 隆一の眉がかすかに動く。

 その表情を見た瞬間、忘れたはずの景色が、喉の奥までせり上がってきた。

 三年前。

 父は一人の少女を連れて帰ってきた。

 如月未央。

「この子が、本当の実の娘だ」

 その日から、家の空気は少しずつ変わった。

 両親は、表向きは今まで通りに接してくれた。けれど、食卓で私の話を聞く時間は短くなり、母の笑顔は薄くなり、父は私を見るたびに、何かを測るような目をした。

 未央だけは違った。

「お姉ちゃん」と無邪気に呼んで、私の服を真似し、同じ紅茶を選び、同じ本を読もうとした。

 私は、それを本気で慕われているのだと思った。

 血が繋がっていないと分かった途端に、失われていくものばかりだった。だから、妹ができたと思えばいい。そう自分に言い聞かせていた。

 けれど、あの日。

 未央は父の前に、大量の写真と一通の封筒を置いた。

「お姉ちゃん、こういう場所に出入りしてたの。ホストばかりいるような、下品なお店に。それだけじゃないわ。会社の資料まで、外の人に渡してたみたい」

 写真には、私に似た女の横顔が写っていた。

 封筒には、如月グループの内部資料らしきものが入っていた。

 どれも、身に覚えがない。

「違う。これは何? 未央、誰に頼まれたの」

 私は彼女の手首を掴んだ。

 問い詰めるつもりだった。痛めつけるつもりなんてなかった。

 それなのに未央は、待っていたようによろめき、テーブルの角へ額をぶつけて倒れ込んだ。

 床にうずくまった彼女は、涙に濡れた目で私を見上げた。

 ――お姉ちゃんに、押されたの。

 父は、私の言葉を聞かなかった。

 頬に熱い痛みが走る。

 ――出て行け。お前はもう、如月家の人間ではない。

 その夜、土砂降りの雨の中で、私は婚約者だった桐生司に何度も電話をかけた。

 信じてほしかった。

 せめて一言、話を聞くと言ってほしかった。

 ようやく繋がった電話の向こうで、司は言った。

 ――悪い、今は無理だ。病院で未央に付き添っている。

 それきりだった。

 家も、大学も、婚約者も、その夜に消えた。

 悪い噂はあっという間に広がった。私は大学に戻れなくなり、昼は会計事務の単発仕事を請け、夜はこうしてコンビニに立つようになった。

 一千以上の夜を、この下町でやり過ごした。

 信じられるものは少ない。

 通帳に残った数字と、自分で押したタイムカード。それだけは、私を裏切らなかった。

「栞」

 隆一の声で、現在に戻る。

 私はまっすぐ彼を見た。

「……今さら、何ですか」

 隆一は唇を引き結び、しばらく黙った。

 いつもの彼なら、私に沈黙など向けない。命じ、断じ、終わらせる。それだけだった。

 その男が、迷っている。

「……祖母が、危篤だ」

 息が詰まった。

「静江さんが……?」

 如月静江。

 如月家で唯一、私を本当に孫として抱きしめてくれた人だった。

 血が繋がっているかどうかを誰かが騒ぎ立てるより前から、静江さんだけは私の手を握り、「栞は栞でいい」と言ってくれた。

「もう長くないと医者に言われた。意識があるうちに、どうしてもお前に会いたがってる」

「どうして、あなたの言葉を信じなきゃいけないんですか」

 声が震えた。

 レジの下で拳を握る。まだこの人の言葉ひとつで乱される自分が、悔しかった。

 隆一は目を伏せた。膝の横で握られた拳が、かすかに震えている。

「本当だ」

 掠れた声だった。

 そして、信じられないことに、隆一はレジカウンターの前で頭を下げた。

「頼む。……病院へ来てくれ」

 かつて私を追い出した男の頭頂部が見えた。

 滑稽だと思えばよかった。

 ざまあみろと笑えばよかった。

 けれど、静江さんの名前を聞いた瞬間から、息の吸い方が分からなくなっていた。

 私は唇を噛んだ。

 如月家に戻るわけじゃない。

 父を許すわけでもない。

 ただ、あの人に会う。

 会わなければ、きっと一生後悔する。

「……行きます」

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